■マタギという職業

俺はマタギをはじめてもう、30年以上になるなぁ。まだ俺は50代半ばで若い方だけど、俺のオヤジが92歳で亡くなるまで、マタギのことをいろいろ聞かされてきたもんさ。だから昔のマタギの気質みたいなことはわかるなぁ。俺のオヤジもマタギで方々歩いてたよ。八幡平の裏から岩手県の方まで・・・岩手も雫石のような北のほうじゃなくて、栗駒山のだったな。鳴子とかもっと南の蔵王の方までも行ってたようだ。

昔、マタギをはじめたばかりの頃に、オヤジについて行って秋田駒ケ岳に登ったことがあった。俺、日本っていう国は大きな国だと思ってたけど、山の上から眺めるっていうと、小さなものであったですよ。なにか切なかった。親父達は山に登ると、山の形を頭に叩き込んでおけって、本当に厳しかったさ。そのオヤジも、「いいか、山なんていうものは、天気が良ければ天国、天気が悪けりゃ地獄だ。人の命なんて簡単に取ってしまうものだ」そう言ってたな。山の怖さを若いうちに覚えろって言ってた。

俺はハンターじゃない。マタギなんだ。といっても昔のように専業の職業マタギではないけどさ。俺はマタギという伝統の姿や、山を歩きながら人間のあるべき姿と言うものを考えつづけてきた。自然の中にある人間の姿というのを、俺は求めつづけてきたな。

マタギというものは山を歩いて、常に自然と言うものを見てきたんだよな。誰に頼まれたわけじゃない。俺は自分の生きかたとしてマタギをはじめたからな・・・だから、俺達マタギはね、欲というものを本当に諌める力を持たないとダメなんだ。これは自然の中ではとても大事なことなんだ。人間と言うものは欲そのものだからな。その欲に振り回されて、欲に溺れてしまうからな。それを諌める力というものが無ければ、自然の中で生きてはいけないって事を、マタギはまず学ぶ。先輩達からも山からも学ぶ。それが出来ないと、村は続いていかない、これ本当なんだよ。あんた達若い人には、分かるか分からないかわからんが、本当なんだ。自然は無限じゃないんだよ。

この冬はウサギも撃ってみたけど、ウサギも少なくてなぁ。まぁ今年は4羽獲って、あとは来年の分だと思って止めてしまったよ。根子(部落名)では今、マタギは4人しかいないんだ。昔は100人もいたし、どの家でも誰かがマタギをやっていたもんだけど、今は4人になってしまった・・・

マタギ発祥の地なんて言われてるけど、現実はそうとう厳しいんだ。4人の仲間で話し合うんだ。「今年はあの山で2羽、こっちの山で1羽・・・」その年オレらが食べる分だけあればいいんだからってな。獲物を見れば片っ端から獲ってしまうって事は、俺達はしないのさ。来年、また来年と増やしてやって、今度増えたら何羽獲れるなっていう、計算もする。これは、欲を諌める気持ちが強くなければ、出来ないでしょ?そういうことなんです。

◇◆

特に今の時代というのは、山の木をドンドン伐採するでしょ?国有林でも何でも雑木のまま放っておけばいいのに、それをわざわざ金と手間をかけて伐採して二束三文にしかならねぇような杉ばかり植えるんだものなぁ。それにあれだね、今はスキー場だとかなんとかで山でも海でも、やたらと手をかけていじくるもんな。
冗談じゃないよ!俺達人間の遊ぶところを作るよりも、動物だの鳥だのが遊べるところを、いっぱい作ってやったほうがいいに決まってる。そういう場所なら、一銭もかからねぇ。放っておけばそうなるものさ。とにかく阿仁でも、もう昔のような形での猟はできなくなってしまった。山の獣も育てながら、増えた分を分けてもらうという形にしていかないと、続かないさ。もっともマタギというのは、そういうことをうるさく言ってきたんだけども・・・

■ 崖から落ちた

オレも山で落ちたことがあるんだ。舞茸(マイタケ)を獲りに行ってな・・・いや、ちょっと山を見に行ったときに、崖の下にある舞茸を見つけたんだ。 不思議なもので危ないのが分かっていても、あるのが分かると、今度はそれが欲しくなるんだな。欲を諌める気持ちが無かった。その頃はまだ・・・ガマンできなかったんだな。あるのが見えてしまうと、我慢できないのさ。欲のままだ。

ちょっと山を見に行っただけだから、山の道具も持ってなかった。普通舞茸獲りに行くときはロープを持って、それをたぐって崖を降りていくんだけど、そのロープが無くて、柴をつかんで降りていったら、ターッと足滑ってしまって、下まで落ちてしまった。ちょうど下に木が出てて、そこに落ちて助かったけど、背骨を痛めてしまってねぇ・・今でも秋とか冬は、その傷が痛んでダメなんだ。

人間っていうものは、ちょっとした欲のために失敗するもんだな。家に帰って、かぁちゃんにすごく怒られたんだ。『そんなものどうして採るんだっ、採らなければ生活して行けない訳でもないだろっ』って。本当にそうなんだけど、それはわかっているんだけど・・・そのときはそういう事は考えないもんだねぇ。

山というものは、その人の心がけで、良くもなるし悪くもなるもんだな。オレはそのことがあって、欲を諌めると言うことを勉強したんだね。あ〜そうかぁ、先輩達が言ってたことは、こういう事なんだなって思ったよ。

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でもさ、山で怪我して恐ろしくなって、それで止めてしまうんじゃなくて、そこから山歩きってのが始まるんだ。自分という生き物が、あーオレっていうのは、本当に愚かなもんだったんだなって分かったとき、自分のバカさ加減を知ったとき、始まるんですよ。オレはそう思ってます。一回そういう経験をすると、山の恐ろしさが分かるから、体が覚えるんですよ。だから、山に連れて行ってもらったほうがいいんです。

まぁ、欲というものは怖いもんだな。猟をするにも欲ってものがある。猟欲だね。この猟欲の強い人ってのは、結局仲間を組んでの仕事は、なかなか出来ないのさ。自分が撃つんだって、前に出るから・・・なーに、哲学とか何とか、そんな難しいことではないのさ。ただオレはマタギとして考えてることを喋ってるだけなんだ。マタギの人たちっていうのは、口下手な人が多いけど、頭は結構使ってるもんだ。やっぱり山では考えてるしな。


オレも根子のマタギだば、何人も記憶にあるどもしゃ、本当におっかねぇ人たちであったすな。だけども、そういう厳しい人というのは、本当に村のことから、人の家庭のことまで気を使って心配してくれる優しい気持ち持ってたすな。これは本当だ。誰に聞いてもらっても、そう言うと思うすな。人並み以上に人の気持ちを考える人たちであったな。それに一本気って言うかな・・・曲がった事は嫌いな人たちであったすな。世間の山を渡り歩いて、心身ともに鍛え上げられた人たちであったから今のオレらとは、一回りも二回りも違う、味のある人たちであったよ。
                                    山田仁嗣さんの話

  












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